冷厳な自己凝視
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
さて、話は前回の続きです。
前回、秋声の冷厳なる自己凝視についての話を書きました。
こうして彼は、いつかじっくりと自分の目でもってすべてを見極めるということを知りました。
かつまたそれを、何の飾りもなく無造作に投げ出してゆくという、自然主義文学独特の、あのきびしいスタイルを完成させていったのです。
「ふりむかば涙こぼさぬ君故につれなくわれの別れこしかば」。
この一首を残して、竹久夢二と別れたばかりの山田順子が、妻を亡くしてまもない秋声を訪れ、やがて同棲を始めたのは、彼が55歳(大正15年)の時です。
当然、秋声老いらくの恋として大変な騒ぎとなり、一時は結婚まで取りざたされたことは有名です。
しかし結局は壊れ、「町の踊り場」(昭和8年)で奇跡的にカムバックするまでの、長い創作不振の一因ともなっています。
したがってまた、ここには老人の孤独、さらには性の問題が深く隠されているように思われます。