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2010年12月 アーカイブ

士族の放浪生活

秋声が士族の出であることを改めて痛感したのは、晩年の自伝小説「光を追うて」(昭和13年)を読んだ時のことです。


体の弱かった主人公が、いつか学校を怠ける癖がつき、それを見とがめられた時のことを、秋声は次のように書いています。


「或る朝等は到頭母に捕まってしまった。


その朝も母の目を避けるようにして、彼は座敷の机の側にぐずぐずしていた。


母は等を小腋に抱き疎めて、冷たい台所の井戸の縁までもって行った。


そして深い底を覗かせるようにして脅した。


『お前のような子をもって、お母さんが恥かしい。さあ学校が厭なら一緒に死のう』」


別のところで「壮年の頃の父や母の躾」は「峻厳」そのものであったと書かれていますが、それにしても何ともすさまじい母の姿です。


やはりこの背後には、武家のというか徹底した儒教的倫理といったものが窺えます。


「光を追うて」は、秋声の幼時から青年時代にわたる、その長い市井人としての放浪の生活を描いたものですが、明治44年(41歳)、夏目漱石の推薦によって東京の新聞に「黴」を掲載、この一作によって文壇に確たる自然主義作家としての地位を獲得。


その間の苦渋に満ちた人生が余すところなく書かれています。

冷厳な自己凝視

士族の出だとはいっても、秋声の場合は、明治維新により急激に没落した家の、しかもその後添いの腹に生まれるという、きわめて複雑な幼年時代を送っています。


だから少年のころ、ひとりになるためにしばしば登ったのが卯辰山(向山)であったと書いています。


「其の山は飛騨境の空に聾え立った中央山脈の余勢の窮まるところの末葉山脈が、なだらかに裾をひいた其の一端に当るもので、春秋の町の人達のピクニックに恰好の場所であった。


生長してから、孤独になりたい気持の動く時など、等はよく本を懐うにして、時には登り口をもっと奥の方の春日山口のいくらか瞼しい方へかえたりして駈け登り、谷から聞えて来る薪割りの斧の音と、時雨のような松の枝葉の風の音を耳にしながら、草のうへに脚を投げ出していたものだが、小学生時代にも、この山は自分の庭のように行きつけになっていた」。

ちなみに主人公の名は「向山等」です。


秋声は、聖その小さいころから「自分の庭」のように親しんできた卯辰山に、何か特別の思いを持ち続けていたのに違いないでしょう。


だからその主人公のネーミングにも、卯辰山の別の名「向山」を選んだのです。


特別の、とは一体何を意味するのでしょうか。


それは、彼の文学を指して、しばしばその冷厳なる自己凝視という、その自己凝視に関連していることはいうまでもありません。

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