士族の放浪生活
秋声が士族の出であることを改めて痛感したのは、晩年の自伝小説「光を追うて」(昭和13年)を読んだ時のことです。
体の弱かった主人公が、いつか学校を怠ける癖がつき、それを見とがめられた時のことを、秋声は次のように書いています。
「或る朝等は到頭母に捕まってしまった。
その朝も母の目を避けるようにして、彼は座敷の机の側にぐずぐずしていた。
母は等を小腋に抱き疎めて、冷たい台所の井戸の縁までもって行った。
そして深い底を覗かせるようにして脅した。
『お前のような子をもって、お母さんが恥かしい。さあ学校が厭なら一緒に死のう』」
別のところで「壮年の頃の父や母の躾」は「峻厳」そのものであったと書かれていますが、それにしても何ともすさまじい母の姿です。
やはりこの背後には、武家のというか徹底した儒教的倫理といったものが窺えます。
「光を追うて」は、秋声の幼時から青年時代にわたる、その長い市井人としての放浪の生活を描いたものですが、明治44年(41歳)、夏目漱石の推薦によって東京の新聞に「黴」を掲載、この一作によって文壇に確たる自然主義作家としての地位を獲得。
その間の苦渋に満ちた人生が余すところなく書かれています。