幻の女たち
てるは、この時ばかりではなく、生涯にわたって鏡花を助けた唯一の親類で、「ささ蟹」(明治30年)をはじめ、絶筆「縷紅新草」(昭和14年)に至る数多くの作品に登場します。
だから夜ともなれば、このてるを訪ねるか、でなければ浅野川の、天神橋の上まで行って自分を慰めたというのです。
とくにこの川は、「水が軟に綺麗で、流が優しく、瀬も荒れない」ところから「昔の人の心であろう―名の上へ女をつけて」呼ばれてきた(大正15年「絵本の春」)といいます。
しかも天神橋を渡り卯辰山を登ると、そこは見渡す限りの墓原。
9つの時に亡くなった母も、その望湖台の一角に眠っていたのです。
例の帰厚坂の碑に刻まれた「ははこひし夕山桜峰の松」という句も、この卯辰山頂上に眠る母をしのんでうたわれたものに違いないでしょう。
したがって私は、この浅野川辺を、いわば鏡花における夢の回廊とでもいうべき場所ではなかったか・・・
そう考えることにしています。
鏡花はここに来ていつも母と会い、あるいはまた、そのバリエーションとして多くの幻の女たちを思い浮かべていたのです。
浅野川を北旦示に描かれた「義血侠血」(明治27年)のヒロイン滝の白糸も、こうして生まれた女たちのひとりでしょう。
「金沢なる浅野川の磧は、宵々ごとに納涼の人出のために熱了せられぬ。
この節を機として、諸国より入り込みたる野師ちは、磧も狭しと見世物小屋を掛け連ねて、猿芝居、娘軽業、山雀の芸当、剣の刃渡り」
「なかんずく大評判、大当たりは、滝の白糸が水芸なり。太夫滝の白糸は妙齢十八、九の別品にて、その技芸は容色と燈いて、市中の人気山のごとし」